あいまいの功罪

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2024年のノーベル平和賞は、被害者の立場から核兵器の廃絶を訴えてきた日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が選ばれました。授賞式では代表委員の田中煕巳(てるみ)氏が演説され、大きな話題となりました。ニュースを大まかに見る限り、田中氏が演説の中で二度にわたって強調した「原爆で亡くなった死者に対する償いを日本政府はまったくしていないという事実」を伝えている報道は少なかったように思います。戦後すぐには国家補償どころか、社会保障制度もなくそれ故被団協が結成されてやっと社会保障制度が整備されたところでした。

これはあくまでも個人的な見方ですが、日本の報道が中立性を重視するあまり、極端な活動や発言を過度に嫌い、だいたいどこのテレビ局も同じような内容になりがちではないでしょうか?歴史的と言える被団協のスピーチに関しても、二度も強調した大事な部分は放送せず、あたりさわりのないところだけを放送することでリスクを避けているように見えます。はっきりとした意見は、「極端な意見」としして、左派なり右派なりの戯言として扱うことで、なんとなく皆が仲良くやれるということが担保されるのもかもしれません。
(被団協の田中氏の演説は、まだの方はぜひ全文をお読みください → https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241211/k10014664891000.html

かく言う私は、人から「色に例えるとグレー」と言われたことがあるほど、あいまいさに逃げがちなところがあります。白黒はっきり言わない傾向はむしろ強いくらいです。海外では自分の意見を言わない日本人が多く、問題になることがあるそうですが、私は典型的な日本人と言えるかもしれません。

ただ、そのあいまいな思考に沈み込み、日本や世界で起きていることに鈍感であり続けることは、ソーシャルメディアが発展し、これまでよりも鮮明に人間の残酷さや苦悩を見ることができる現在においては、「罪」となるのではないかと考えています。とはいえ、声高に主張してみても距離を置かれるのが日本らしさでもあります。主張の仕方は難しいですが、今年の目標として、ときどきはあべクリタイムスに言いたいことを書いたり、パレスチナ産の石鹸を買ったり、一部の企業製品に対する不買運動をするなど、小さなレジスタンスをしてみたいと思います。