9月ですね
こんにちは、院長の阿部哲夫です。
9月になりましたが、秋の気配は感じられません。暑さ寒さも彼岸までといわれますが、今年は本当に涼しくなるのか疑わしいかぎりです。異常気象に慣れすぎてしまい、少々の異変には慣れっこになってしまいましたが、食いしん坊の私としてはこの異常気象が秋の味覚に影響を与えないかと心配でなりません。なによりもぶどうが例年通り食べられるかが最近の関心事です。
9月といえば、1日は防災の日です。地震、津波、大雨や火事と何かと災害が多い日本ですが、災害は忘れたころにやってくるのたとえ通り日頃の備えが重要です。私も、先日少々古いパソコンを無理して使っていたら急に壊れてしまいました。毎日全くトラブルなく働いていてくれたパソコンだったので、うかつにもバックアップもしていませんでした。文章や様々な原稿だけではなく写真などの貴重なデータに一瞬にしてアクセスできなくなってしまいした。事故が起こってから、事の重大さに気が付き非常に慌てました。幸い翌日まで電源を落としていたらなんとか息を吹き返し、あわててハードディスクにデータのバックアップをとりました。本当に我ながらこんなミスを犯すなどとあきれかえってしまいました。
まさかこんな災難に襲われるとは夢にも思っていませんでしたが、やはり災害には日ごろの備えや訓練が重要です。クリニックに関していえば、電子カルテがちょっとトラブルを起こしただけで大騒ぎです。カルテも開けず過去の処方もわからないため診療が全て止まってしまいます。ましてや停電になったらさらに大ごとです。こうした状況になっても、何とか診療を続けるためには、蓄電池や発電機の準備などできる限りの対策を取っておくことが重要です。もっとも当院の電子カルテはクラウド型なのでインターネットにつなげられなければ電力があっても全くカルテが開けないのですが、それでも電気さえあれば処方だけは見られるように準備はしてあります。こうしてみると、今の便利な生活はすべてのインフラが正常に機能して初めて成り立っていると実感させられます。
江戸時代、東京(お江戸)は、水害や火事など災害が多い都市だったと聞きます。そうした環境の中での最大の対策は物を持たないことだったといいます。火事になっても、洪水が来てもミニマムな生活をしていれば、すぐにものを持ち出せますし生活の再建も容易です。しかし今の日本人には、そうしたミニマムな生活は困難です。ほんの200年前、電気ガス水道もない環境でも日本人はたくましく生きていたと思うと今の自分には想像もできません。
たしかに今は、便利すぎる様々な機器に依存しすぎていると思います。現代の若者はスマホが命の次に大事と聞きますが、考えてみるとわたくしの青春時代には携帯電話すらありませんでした。私たちの世代はその意味では、スマホがなくても何とか生きながらえることができるのかもしれません。何よりの防災訓練はこうした不便な生活を実際に体験してサバイバルすることなのかもしれません。
岐阜県の山奥に電気もネットもつながらない宿があると聞きましたが、こうした宿で不便な生活を体験しデジタルデトックスを味わうのもよい訓練なのかもしれません。東京でも電気ガス水道のない生活を試したいとおもいますが、この異常気象では熱中症になるのが関の山です。しかし、この異常気象も地球温暖化の影響と考えると、便利な生活を追求した結果です。このまま便利さを追求していくと、本当に人類がサバイバルできない環境となってしまうのかもしれませんね。