雨にも負けず
お彼岸も過ぎようやく秋の風を感じられるようになりました。地球温暖化のあおりで、日本にも四季がなくなるのではと危惧する人もいますが、まだ日本の四季は健在のようです。秋の紅葉がこれからは楽しみです。人混みと渋滞は苦手なので、紅葉の名所には行けないと思いますが、都内の公園でささやかに紅葉を楽しみたいと思っています。
最近自民党の総裁選挙がありましたが、9人もの候補者が乱立し、さながら戦国時代の争いの様でした。当初優勢といわれていた小泉氏が、あっという間に人気を失ったり、最後の決戦投票では水面下で様々な人物が暗躍(あんやく)し石破氏が逆転したりと、権力闘争の厳しさというのはこういうものなのだとまざまざと目の当たりにした気がします。しかし今の政界を見ていると、裏金議員に単なる世襲議員、そしてカルトといっていい宗教団体に媚を売る政治家など、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)しているだけにしか見えないのは私がひねくれているからでしょうか?昨今の政治家を見ていると、本来の実力がないのに議員となり他人から見て偉いといわれる地位が欲しい人たちがかなりの数いるような気がします。最近よく聞かれる言葉に承認欲求という言葉があります。SNSで「いいね」の数にこだわる人を揶揄して、そこまでして承認欲求を満たさなくてもといわれたりして、どちらかというと否定的な意味合いで使われることが多い言葉です。こうした観点から見ると、そうした政治家は承認欲求が肥大化しSNSで単に「いいね」を欲しがって人たちと大差ない気がしてしまうのは悲観的過ぎるでしょうか。
元兵庫県知事も同じ穴の狢(むじな)だと思います。単にマウントをとって威張りたいだけの人物にしか思えません。本当に人の上に立つに値する人物であれば、自分の利益より他人の幸福を希求するといった、そのような人物像が為政者には求められるのではないかと思います。斎藤元兵庫県知事にはそうした高い理想の影は全く見えません。自分のパワハラのせいで人が一人亡くなっているというのに平然としていられるその神経や、自分が間違ってないという根拠なき確信には病的なものすら感じます。おねだりをしてもらったものは自分だけで独占する、自分がちょっと歩かされたからといって激高するそのような生きざまはお世辞にも格好がいいとは言えないと思います。本当に人から認められたいと思ったら、自分の利益よりも他人の幸福を願うそんな人物こそ、多くの人から尊敬されるのではないでしょうか?そうしてこそ初めてみんなから「いいね」をもらえるのではないでしょうか?
宮沢賢治の有名な詩に「アメニモマケズ」という詩があります。皆さんも国語の教科書で読んだことがあるのではないでしょうか?「東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ 西二ツカレタ母アレバ行ッテコハガラナクテモイイトイヒ」というあれです。その詩の最後のフレーズが私は大好きです。「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズクニモサレズ サウユウモノニワタシハナリタイ」。本当はこうゆう人にこそ「いいね」をあげたいと思います。もちろん私はこうした仙人のような人物にはなれません。唯一合致するのはデクノボーであるところだけでしょう。なので、せめてむやみに「いいね」ばかりを欲しがらないように身の丈に合った望みをいだいて生活していきたいと思っています。