鬼は外

Tetsuo Abe

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こんにちは、院長の阿部哲夫です。
2月になりました。2月と言えば節分ですが、今年は退治したい鬼がたくさんいすぎて、気を緩めることができません。しかし、この山を越えれば、気温も上がり春の到来です。桜の季節には、少し世間が明るくなっているといいと思います。

最近世間をにぎわせているのは、患者さんやその家族に医師が殺害されるという痛ましい事件が立て続けに起こったことです。いずれの先生方も患者さんからの信頼も厚くとても熱心な先生方であったと聞きます。親切で熱心だったからこそ、いろいろな苦情を言ってくる患者さんや家族も診察を断ることもなく、丁寧に対応してきたのだと思います。言い方はよくないかもしれませんが、その熱心さや親切心が仇になったともいえるかもしれません。

一方、これらの事件をきっかけに精神科の診療は危険だとか、訪問診療にもリスクがあるなどとの意見も聞かれれるようになっています。しかし、そのように単純に考えるのは短絡的ではないかと思います。こうした事件はごくごく稀なことだと思います。何万回あるいは何百万回の診察のうちに1回あるかないかの事件ではないでしょうか?こうした事件をもって、精神科診療や訪問診療を危険視するのは、交通事故で死亡事故が起こるか
らと運転は危険なのでやめようといっているのと同じで、冷静な対応が必要なのではないかと思っています。

この二人の容疑者に共通しているのは、中高年男性の拡大自殺という点です。私もこの容疑者たちと同年代ですが、自殺のリスクファクターの一つとして、50代から60代の独身男性が挙げられています。もちろんこの容疑者たちのパーソナリティの問題も大きな要素とも思われますが、こうした年代の独身男性は生きる希望を十分に感じられていないということも、一因だと思います。コロナ禍もあり、夜の街にも繰り出せない、経済的にも自由がない、こうした状況の中ではなかなか生きがいを見いだせないという点は多少は理解できます。かくゆう私も、飲みによる外出もできない、旅行もできない、何かイベントにも参加できないといった閉塞的状況には少しうんざりとしていることは事実です。しかし、最近の私はというとYouTubeで好きな音楽の動画や歴史にまつわる動画を見たり、あるいは散歩して街中でいろいろのものを発見したりと今までとは違った楽しみを見つけるようになりました。

フランクルの「夜と霧」という有名な書籍がありますが、ここでナチスの収容所に監禁されているユダヤ人の様子が描かれています。アウシュビッツ収容所のなかで、精神的に持ちこたえられたのは、想像力が豊かで知的活動ができる人たちであったとの記載があったように思います。私の場合あまり知的活動とはいえませんが、このようなコロナ禍のなかでも少しでも工夫して自分なりの趣味や楽しみを充実させたいと思っています。むしろ、これをいい機会ととらえて新しいことにチャレンジしたり、いままでやろうと思ってやれなかったことを実行したりしたいと考えています。

冬来たりなば春遠からじという言葉もある通り、このコロナ禍もいつか終わると思います。その日をたのしみに今を耐えるしかありませんが、その耐乏生活の中にもいろいろな楽しみを見つけて何とか乗り切っていきたいと思っています。むしろ最近は、こうしたささやかな楽しみを探し出すことも楽しみになってきています。

皆さんも日々大変な日常を送っていることと思います。中島みゆきではありませんが、「そんな時代もあったねと」コロナ禍を少し余裕で振り返れる日が来ることを願ってやみません。今はまさに「鬼は外」ではなく「オミは外」ですね。