ローマの休日

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こんにちは、院長の阿部哲夫です。
本格的な梅雨ですね。今年は、引きこもり生活には慣れているから大丈夫などと大見えを切ったのですが、やはり梅雨のこのじめついた天気は嫌なものです。何となく体がだるくなるし気力も萎えますね。梅雨鬱という言葉があってもいいのではと思うくらい、わたくしはこの季節の気候が苦手です。

皆さんは「ローマの休日」という映画をご存知だと思います。これは1953年にウィリアム・ワイラーが監督製作した映画で、オードリー・ヘップバーンの実質的なデビュー作として知られている作品です。愛くるしいオードリーの演技は今でも映画史に燦然と輝いているといってもいいでしょう。最近知ったのですが、この作品の原題は「Roman Holiday」なのだそうです。もしローマの休日ならば、英語では「A Holiday in Roma」と表記するのが一般的なのです。実は「Roman Holiday」は、ローマ人の休日です。つまり、ローマ帝国時代の貴族の楽しみを意味します。奴隷同士を死闘させたりライオンと戦わせたりするのを見物して楽しむこと、ひいては「野蛮な見世物」「他人を犠牲にした楽しみ」といった裏の意味がある言葉です。この映画の中では、ヘプバーン演じるアン王女がその環境から逃げ出し、新聞記者と恋に落ちるのですが、その行為が多くの人の犠牲に立つ喜びであることの寓意として用いられています。しかし王女は多くの人々に迷惑をかけることができず、自分の恋をあきらめるといったストーリーでした。

先日のオリンピック報道で「観客を入れて開催」といった発表がありましたが、それを聞いて真っ先に思い浮かべたのが、この「ローマ人の休日」という言葉です。現在のまん延等防止措置の宣言下でも、多くの感染者が出ていて、大勢の方が病に苦しみ、それを治療する医療スタッフには過酷な環境下での労働が強いられている状況です。おそらくは、観客を入れての開催により間違いなく感染者は増え、それに伴って少なからず死亡者が増えるでしょう。まさに、観戦者が増えれば感染も増えるのです。また、現場の負担も増えることは想像に難くありません。それがわかっていても、オリンピックの利権にすがる人たちや政治家は開催を強行し、オリンピックは成功したという名誉を得たいのだと思います。「自分たちの快楽や利益のためには、何人かの犠牲者が出ても仕方がない。」そんな考えの元、尾身提言を無視し開催を強行しているとしか思えないのです。パンデミックの状況でオリンピックを開催するなど狂気の沙汰です。封じ込めないといけない状況なのに、観客を入れてオリンピックを開催する、その一方で飲食店などには自粛を押し付け医療従事者の負担を増大させる、国民の生命と健康を第一優先にするという言葉は”絵空事”にしか聞こえません。専門家の提言を無視して感染拡大を招き、多くの生命が犠牲になったら彼らはどう責任を取るのでしょうか?太平洋戦争の時に、時の為政者が大きな過ちを犯し多くの犠牲者を出してしまった時のようなことにはならないのでしょうか?この判断ミスで、パンデミックがさらに拡大し諸外国のように多くの死者がでてしまったら、亡くなった人や遺族の無念は誰が晴らしてくれるのでしょうか?

わたくしには国立競技場がローマのコロセウムにしか見えません。そこでは人々の死を前に高みの見物を決め込んでいる、そんな貴族たちの姿がありありと見えます。この東京オリンピックが、開催したがゆえに多くの犠牲者を出した、そんなオリンピックとして歴史に名を残さないといいのですが。わたくしのこの心配が杞憂に終わることを願ってやみません。

Photo by Henry Paul on Unsplash