盛夏に想う

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こんにちは、院長の阿部哲夫です。

夏真っ盛りですね。
この盛夏から晩夏にかけてのこの体を刺すような日差しは、結構好きです。炎天下の中、汗をかいて何か運動したりあるいは散歩したりすることは楽しみの一つです。もちろん、熱中症予防のため塩分や水分摂取は欠かせませんが。また夕暮れになると少しだけ秋の気配を感じることができることも楽しみです。年配になると、俳句に興味がわいてくることも少し理解できる歳になってきました。

この炎天下の中、墓を探しに行ってきました。実は6月に父親が亡くなったためです。長い間寝たきりだったので、少しは準備しておけばよかったのですが、亡くなることを考えるのが嫌だったのか、少し安定もしていたので先延ばしにしていました。そのために、亡くなってから慌てて探すことになってしまいました。父は、新潟出身の三男坊で、戦後上京し零細企業を経営していた人です。医業には関係はなく、社労士の資格を取り会社を畳んでからは、社労士事務所をこれも細々と営んでいました。このために東京に墓はなく長男である私が探す役となったのです。日暮里は寺町で、近くには谷中霊園や寛永寺の墓地があり、墓になじみの深い町です。この機会に、近くのお寺や墓地をめぐってみました。

驚いたのは寛永寺の境内に隣接している墓地です。いずれの墓も立派で、小さい墓でも 1坪以上大きなものは4~5坪もあるような立派さです。ちょうどお盆の時期なので、墓の木々の手入れをしているご家族が何人かいらっしゃいましたが、どのような名家の方かと想像してしまいました。またお墓にかかる費用もまちまちで、寺の格式により明らかな差があり、亡くなっても格差からは逃れられないのかと少しがっかりしました。

墓探しは、日本人にとって墓や仏事とは何なのだろうと考える機会となりました。父は生前信心深い人間ではなかったのか、自分の墓や死後のことについて語ることはありませんでした。このため故人の遺志といった特に制限がない分、逆にどこにするのか決めかねました。しかし、墓は生きている遺族にとっては、そこに亡くなった人の魂がある場所であり、心のよりどころになる場所なのだと思います。そこに行って手を合わせれば、故人のことを想い出し、その人と過ごした日々に思いをはせることができる場所、そうした神聖な場所なのだと思います。散骨する人もいると思いますが、私はどこか一つの場所を定めで置いたほうがいいのではと思っています。仏事も同様だと思っています。葬儀を経験してみると、初七日や四十九日、百か日、一周忌など節目がありますが、それもその節目に故人ゆかりの人が集まり故人をなくした悲しみを共有し、その悲しみを少しでも癒す、そうした儀式なのだと理解するようになりました。このように考えると、あまり形式にはこだわらず、こうした思いを共有できる時に近親者と集まりそれなりの儀式を行えればと思うようになりました。

本来は、四十九日の法要を行い、その前後に納骨というのがしきたりなようですが、なにせ墓の準備は後手後手になったので、到底その日程では執り行えませんでした。そのかわりといってはなんですが、慎重に墓を選び少しは気に入ってもらえるような墓を建てることやお参りしやすいところに墓をつくることで、少しは故人の恩に報いることができるのではと考えております。すこし、辛気臭い話で申し訳ありませんが、お盆も近くなので話題とさせていただきました。