なかなか秋になりません。
こんにちは、院長の阿部哲夫です。
11月だというのに夏日が続いています。10月に衣替えと思っていましたが、いつ衣替えをしたらいいのかわからなくなってきました。地球温暖化のせいか、異常気象のせいかは不明ですが、季節感が今後は変わっていくのでしょうか。この勢いだと四季がなくなってしまいそうです。今年だけの例外ならばいいのですが。
先日、車のカギを失くしてしまいました。必死に家じゅう探したのですが、見つかりません。今の車のカギは電子キーになっているので、昔の車のカギのように鍵屋さんですぐに複製が作れません。車屋さんに行って注文しないといけないですし鍵も高価です。ダメもとと思って交番にも紛失届を出しました。1週間たっても見つからないので、車屋さんに鍵の注文を出したその日になんと荒川警察から連絡ありました。鍵が見つかったというのです。慌てて翌日荒川警察に鍵を取りに行くとまさしく私がなくした鍵でした。このことを通じて今更ながら日本は安全でいい国なのだと実感しました。世界を見渡すと、ウクライナやパレスチナではまさに戦争が起きていて、安全など全くありません。こうした世界情勢をみると私は右翼ではありませんが、つくづく日本に生まれてよかったと実感します。
当初は、私はテロ的行為を行ったハマスが悪であると思っていました。しかし、この機会にイスラエルやパレスチナ問題の歴史を調べてみると、決して一方的にハマスが悪いとは言えないのではと思うようになりました。もとはと言えば、あの場所にユダヤ人の国を無理やり作ったことが事の発端です。当時のイギリスの思惑が強く働きパレスチナ人の土地であった地にユダヤ人の国イスラエルを作ってしまったことがこの戦争の始まりです。その後イスラエルは徐々に占領地を拡大し侵略と迫害を繰り返し行ったのです。しかし、不思議なのは、自らも人種差別の犠牲となり虐殺の被害者であったユダヤ人が、今度はガザ地区で虐殺の実行者になろうとしていることです。被害者となりその苦しみを知っているはずの当事者が今度は逆の立場に立とうとしている、このことを考えると学習能力のない人間には地球に戦争をなくすことは不可能なのだと絶望的な気持ちになります。もちろん、テロ行為で暴力に訴えたことは擁護できませんが、この問題は、どちらか一方が悪いという単純な話ではないと思います。パレスチナやウクライナの問題を見ると人類の脳は、利害が対立すると互いに殺しあったり戦争をしたりといった暴力的手段で解決するようにプログラムされているのではと疑ってさえしまいます。話し合って解決の知恵を探るというのは理想論なのでしょうか。
ジョン・レノンが「イマジン」で歌ったように、宗教も国も争いもそして所有という概念さえない世界を実現することはやはり夢物語なのでしょうか?彼の死後何年もたちますが、この歌の意味の持つ重みをいまさらながら実感します。しかし今のこの状況では人類の未来に悲観的になってしまうのは私だけでしょうか?なんとか「イマジン」に描かれたような世界がいつか来ると信じたいのですが、やはりそれは夢なのでしょうか。パレスチナの悲惨な状況の報道に触れるたびに、本当に心が痛みます。ジョンが生きていたら今のこの状況に何を語るのでしょうか?鍵をなくして悩んでいたことが本当に些細なことに思います。そして今私にできることは、ほぼ80年間にわたり戦争をしていない平和な日本に生まれたことをかみしめることだけです。ビートルズの新譜が最近発売されたと聞きます。久々にジョンの歌声を聞いてみたくなりました。