もう春真っ盛りです

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こんにちは。院長の阿部哲夫です。
早くも4月です。今年は桜も3月に満開を迎え、4月は葉桜になっていました。時代はどんどん変化します。昔は、入学式に桜なのが、今や卒業式に桜です。地球温暖化のせいでしょうか?そのうち入試に桜なんてことにならないように、少しは環境を考えて生活したいと思います。

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今月はバスハイクで、東京ディズニーランドに行きます。ディズニーランドは開業35周年になるそうです。開業当時は、私は大学生でした。その当時は、平日は今ほど混雑することもなく、外国人も多くはなく、もっとのんびりとした雰囲気でした。アトラクションも、今のようにパスポートだけではなく、入場券と乗り物券が別の券もありましたし、何よりもパスポートももっと安価でした。今は、パスポートは7000円を超えています。しかし、当時のアトラクションよりも現在のもののほうが充実していることを思えば高くはないのかもしれません。ちょっとしたコンサートに行っても、すぐに5000円を超えてしまうことを考えれば、歌も踊りもあり、乗り物にも乗れて、一日遊び足りないアトラクションがあることを考えると決して高すぎることはないと思います。その証拠に値上げしたからといって、来客数が減っているようには感じられません。

先日、東京ディズニーランドを作った人たちのことを取り上げたTV番組を見ました。実は、ディズニーランドの計画はオープンの25年も前、つまり今から60年前から始まっていたそうです。アメリカで、当時オープンしたばかりのアメリカのディズニーランドを見た当時の京成電鉄の社長が、日本にもディズニーランドを作りたいと思ったことが始まりといいます。当時は、まさに夢のまた夢の話だったと思います。その計画は浦安の海の埋め立てから始まります。漁業権を持っていた漁師さんとの交渉や銀行からの莫大な借り入れなど、幾多の困難を乗り越えオープンにこぎつけたのだそうです。

実現するかどうかわからない空想のような計画に25年もかける、今現在のディズニランドの成功を見ていれば、やる価値があると思えますが、その当時の日本の経済状況を考えるとまさに賭けだったのだと思います。実際番組でも、オイルショックの時の不景気で社長を交代しなければならない状況に追い込まれた時期もあったと伝えていました。

しかし、先見の明とはこのことでしょう。その当時は融資ひとつ受けるのも一苦労だった東京ディズニーランドは、間違いなく日本一のアミューズメントパークです。私自身に照らしてみれば、10年15年先を見据えて何か計画を持っているかといえば、皆無です。唯一持っているのは、時代の最新の精神医療を先んじて取り入れていくという基本方針だけです。今の医療は、日進月歩で先を見通すことは困難です。社会情勢もかわれば、医療制度も変わります。私が医者になった35年前には、精神科クリニックはほとんどありませんでした。非常に高名な先生が、専門の分野で特殊な外来をやっているというイメージで、私も精神科で開業するなどということは、精神科医になりたての頃には全く考えていませんでした。

ディズニーランドの話に戻ると、ディズニーランドのすごいところは、過去の成功体験に甘んじることなく、常に改善し新たなものを取り入れているところです。常にどこかがリニューアルされ、新しい刺激がある。それが、新しい顧客をうみ、更に投資が可能となる、これがディズニーの成功の鍵なのではと思います。スタッフも良く教育されていて、いる間に不快な思いをすることはありません。そこが相撲協会やりレスリング協会との大きな差です。いつまでも迷信のようなしきたりにしがみついていたり、旧態依然とした根性論がまかり通るような組織には未来はないと思います。あべクリニックもディズニーランドに見習って、常に革新をとりいれ、スタッフも充実させるように頑張っていきたいと思います。