今日は秋空がきれいでした

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こんにちは。院長の阿部哲夫です。
今日は台風一過で本当に秋空がきれいでした。今年は台風が2週連続してくるなど、秋の空気をゆっくりと感じる余裕がなかった気がします。しかし、今頃の季節は天候が良ければ暑くもなく寒くもなく本当にすごし易い季節です。

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スポーツの秋、芸術の秋、食欲の秋、行楽の秋など、いろいろな活動に適した季節とされていますが、皆さんは何かこの秋何かの活動をされているでしょうか?かくゆうわたくしも、いつものようにやっているテニス以外取り留めて新しい活動にチャレンジすることができていません。これを機会に何か一つでも挑戦できるといいのですが…。

最近の話題は、やはりノーベル賞でしょうか?青色発光ダイオードは、報道を見るにつけ本当に自分たちの生活に溶け込んでいることがわかります。部屋の照明はもとより、テレビや携帯などあらゆる分野で、この技術が不可欠になっていると聞いて驚きました。

青色の発光ダイオードが発明されなければ、LEDの照明自体が存在しなかったときいてそれも驚きでした。物理の知識に関しては全く無知のせいもあり、光の三原色が合わさらないと白色光ができないことすら、十分理解していたとは言えませんでした。しかし、こうした世紀の大発明が、休日や夜間も休まず行った実験の失敗の繰り返しの中から生まれてきたときいて本当に感動しました。こうした、先人の天才的努力の上に我々の生活が成り立っていると思うとその努力に頭が下がります。

たしかに、わたくしも若いころには研究や実験の真似事はしたことがあります。わたくしの行っていた研究などは、ノーベル賞の足元にも及ばない研究でしたが、それでも確かに学会の前には、休日も返上してデータを集め解析していたことを思い出します。個人のパソコンでのデータ解析などはできない時代でしたから、出したデータを東大の大型コンピュータで解析してもらうなど今では考えられない手間をかけて研究していたのです。

いざ結果が出ても、データのスライドなども手作業で作ったりした時代でした。ようやく、コンピュータが普及しはじめの時期で、今のように手軽にプレゼンテーションの資料を作ることはできなかったのです。そう言った意味では、今の研究者はデータを出すことだけに集中できてうらやましい限りです。

そうやってささやかな研究をするにも、大きな努力や労力が必要な時代では、少し前にマスコミをにぎわせていたOBOXXさんのような、データのねつ造などは考えたこともなかったことです。むしろ手軽に論文をコピー&ペーストできるような時代になってからのほうが、データ捏造に対する抵抗感がなくなったのでしょうか?もちろん現代の研究者でもまじめに地道な実験の繰り返しをしている研究者も多々いるとは思います。しかし、理研のあの事件の裏にはこうしたコンピュータで気軽にデータ操作ができるという時代背景もあったのかもしれません。

今年一年間だけを見ても、こうした両極端の研究者が話題になったのもなにかの因縁なのでしょうか。かたや、ノーベル賞級の研究者としてスポットライト浴びたにもかかわらずデータのねつ造がばれて転落する人もいれば、血のにじみ出るような地道な努力や失敗の繰り返しの中から、やっと何十年後にノーベル賞という形で脚光を浴びる人がいる。ある意味本当に対照的な事件だったとおもいます。

一時は日本の研究者のモラルについて世界から白い目で見られているような時期もありましたが、今回のノーベル賞受賞者のおかげでこうした負のイメージが吹き飛ばされたのではないでしょうか。