日暮里とわたし

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好評につき、心理士の安澤さんのエッセイを連続で掲載しています。
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ご存知かと思いますが、当院は日暮里にあります。日暮里と言えば、谷中銀座や繊維街、谷中霊園などのスポットが有名ですが、私にとって日暮里は、幼少期から親戚宅に向かう際の乗り継ぎの場として記憶に留められており、下車して散策する機会は全くありませんでした。とは言え、日暮里で初めて下車したのは、当院に入職してからではありません。それ以前に1度だけ、日暮里駅の改札を出たことがあります。それが「日暮里とわたし」の馴れ初めと言えるでしょう。ここでは、日暮里を初めて味わったときのエピソードを綴ります。

今から13年前。日暮里にある某寺院に赴きました。目的は「座禅」です。しかし、ただの「座禅」ではありません。「座禅」と「街コン」を合体させた「座禅コン」というイベントです。

ご存じの方もおられるかもしれませんが、「街コン」は、コロナ禍前まで巷で流行っていた、町興しの一環でもある合同コンパです。その出逢いの場である街コンと、寺院での座禅とをコラボさせた企画が「座禅コン」です。

当時の私は、出逢いよりも、企画物の「街コン」に参加してその企画を楽しむという目的が強くありました(ここには「知性化」や「否認」といった防衛機制が働いているわけです。一応心理士なので、少しくらい専門用語を入れさせてください)。「宝探しコン」や「くじ引きコン」といった企画物の街コンもありましたが、そのうちの1つと言える「座禅コン」が、私を日暮里へと導いてくれたのです。

「座禅コン」には、「座禅を通じて出逢いを作る」というそのままのコンセプトがありました。まず、寺院内の和室で座布団が一列に並べられ、参加者が対面式に座り、1分程度の自己紹介を行います。そして隣の座布団に移っていく、回転式の自己紹介スタイルを40分程度。

続いて住職が和室に訪れ、「それでは本堂に参ります」と、全員を本堂へ案内します。そして皆がお釈迦様を前に静坐し、精神修養を行います。40分程度、目を瞑り、正しい姿勢で、静かに座り続けます。住職による喝、すなわち「文殊菩薩の励まし」もあり、立派な座禅の経験となりました。
他方で、精神修養中、「私はいったい何をしているのか」「この後どうなるのか」「様々なことが浮かぶ今の自分は、精神修養ができていないのではないか」と思い巡らしていたのも覚えています。もはや心は鎮まりません。

しばらくして座禅が終わり、再び和室に戻ると、6つのテーブルに座布団が6枚程度用意され、テーブルの上には和菓子が置かれていました。座禅後の交流会です。

私は2つのことを思いました。1つは、「煩悩だらけ……」と。2つ目は、「何を話せば……」と。そこにある和菓子をつまみながら、静かな雰囲気に身を任せるかのように、煩悩だらけだったわけです。
最後にもう1つ。「そういえば、この静けさと厳かな雰囲気……以前にも体感したことがあるような……」と、デジャヴが降り注いだのです。

「法事……」

この企画は強烈でした。とはいえ座禅を否定するものではなく、当時この企画を受けていた寺院の住職様は、むしろ座禅を広げる意味でも非常に歓迎されており、融合された企画に喜ばしい印象を抱かれていました。私も当然否定する感覚や意識は無く、むしろ趣があり、強いインパクトが残りました。

そもそも「煩悩だらけ」になるからこそ「煩悩を捨てよ」と説かれるのだと痛感させられ、自らを省みる思いが増しました。煩悩だらけの状態から煩悩を捨てていくという精神修養は、人を大いに成長させてくれます。その座禅こそが「日暮里とわたし」の馴れ初めです。現在は毎週のように日暮里に通い、すっかりこの街に馴染んでおります。

座禅そのものは、自身の気持ちを鎮めるための大切な機会となりえます。心の癒しに繋がる、非常に有意義な時間・空間となることでしょう。ぜひ一度、座禅を体験されてみてはいかがでしょうか。