こんにちは、院長の阿部哲夫です。
5月になり、「平成」が終わりを告げ、「令和」がはじまりました。色々な報道で、平成を振り返る番組や、来るべき令和の時代がいかなる時代になるのかといったことが語られています。先月号でも書きましたが、これからの時代はますますスピードを増して変化の時代になっていくと思います。しかし、その一方で、昔の皇室の写真や報道を見る機会があると、何か懐かしさやほっとする感じがするのは私だけではないと思います。上皇様がご成婚のころの写真を見ると、まさに『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界です。昭和のころの風景や記憶に癒されてしまうのは、我々が昭和世代だからでしょう。
令和時代の幕開けは、平成の改元とは違って歓迎一色のように思います。これはひとえに、上皇様が生前退位を決意されたおかげです。半年以上も前から、改元が準備されているのですから混乱もなく、しかも崩御に伴う自粛ムードもなく、むしろ改元に伴う経済効果を最大に生かすことができています。皇室典範に規定されていない生前退位を、単に高齢になったから天皇としての職責を果たせないからとの理由だけではなく、こうしたメリットを熟慮されたうえで決断したのであれば、まさに英断だったと思います。
もし、崩御後突然の改元となれば、コンピューターシステムの急な変更などや、崩御に伴うイベントの中止など大きな混乱が生じていたと思います。5月1日に、診断書を作成した時に、元号が令和に書き換えられているのを見ると、もし突然の改元だったらと思うとすこしぞっとしました。平成元年当時に比べれば、世の中のIT化は比較にならないものがあります。たとえば電子カルテ一つとっても、その当時の普及率はゼロに近いものだったと思います。わたくしが開業した平成9年当時でも、電子カルテの導入などは全く頭の片隅にもありませんでした。そのこと一つとっても、PCシステムの浸透は30年前と今とでは比較にならないものだと思います。もし、急な改元でPCシステムの変更が一時に集中すれば、いろいろな分野で混乱が生じていたと思います。
もう一つ英断と思ったのは、自分の能力の衰えを自覚され、象徴としての役割を果たすうえで判断力などの衰えがあり、務めを果たすことが困難であると考えられていたことです。一般論としては、年配の方が自分の能力の衰えを自覚されることなく、自分は大丈夫と思っていることが少なくないのです。最近話題になっている、振り込め詐欺や高齢者の免許問題などは典型的な例です。池袋の事件のように高学歴で、高い役職を務めた人でさえ、80代後半になっても運転を辞めなかったことや、タレントのテリー某のように、自分は高齢になっても運転は上手であるとテレビ番組で放言するなど、多くの年配者は自分の能力の衰えを正確に判断することは難しくなります。高齢になると、判断力そのものが低下することもあり、自分だけは大丈夫、自分はまだできると思いがちになるのです。上皇様は、周囲の反対を押し切って、皇室典範にない生前退位を希望されたと聞きます。こうした意味からも、上皇様の今回のご判断は、まさに英断だと思うのです。
わたくし自身も、70歳台後半にもなれば、判断の衰え気力の低下は起きてくると思います。このときに、いかに判断に誤りなく自分の道を決めていけるか、これはこれからの宿題だと思っています。生前退位について皆さんはどう思われたでしょうか?わたくしは、今回が良き前例となり、今の天皇陛下も同様の行動をとられるのではないかと思っています。