ロンドンオリンピックに思う

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こんにちは。
院長の阿部哲夫です。
毎日暑い日が続きますね。ただでさえ不眠がちになるこの季節ですが、オリンピックも加わりさらに睡眠のリズムが崩れているのではないでしょうか。月並みな言い方ですが、本当にオリンピック選手の努力には敬服します。

4年に一回のほんの一瞬の勝負のために、膨大な努力を繰り返すことなど想像できません。しかも、タイムを競う競技ではコンマ一秒の差で順位が決まるのです。ポイントを取る競技にしても、その点数の差はわずかです。バレーボールにしても、卓球にしても、わずか1ポイント取れるか取れないかで勝敗が左右されます。こうしたプレッシャーに耐える選手の精神力はわれわれの想像を超えています。

しかし残念なことに、現在のところ金メダル獲得競争では、日本は今ひとつ振るわないようです。中国や韓国など国策でスポーツを奨励している国には分が悪いようです。こうした状況は、アジアにおける現在の日本経済を象徴する様でもあり、なにか口惜しい感じもします。銀メダルが多いのも、仕分けの会議のときに蓮方議員が、「1位でなくてはいけないのですか?2位ではだめなのですか?」といったことがいかにばかげた発言であったかを象徴する様でもあります。

こうしてオリンピックを見ていると、何か日本人として自信を失うような感情さえ抱いていましたが、あることに気がついてからはその考えが変わりました。今回のオリンピックでの日本のメダル獲得をみていると、従来の得意分野ではない競技でメダルを取っていることに気がつきました。たとえば、フェンシングやアーチェリー、卓球、女子サッカーなどいずれも団体での初めてのメダルを取っていることです。こうした競技では、個人のメダルは取れていません。しかし、団体になると個人が協力して他国を圧倒する。これこそ日本人の精神ではないかと思うのです。

これはどこから来ているのでしょう。元来、日本人は農耕民族で互いに協力して田畑を耕し収穫を得てきました。そういう意味では集団で協力して共同作業を行うことが、長い間必要とされてきた民族です。こうしたDNAはいまにも受け継がれているのだと思います。そこに流れている精神は利己主義ではなく利他の精神だと思います。自分のためではなく、他人のため仲間のためにがんばる。そうした状況では、自分のためにだけにがんばるよりもより力を発揮する。これこそが日本人の精神だと気がつかされました。特に、昨年の震災以降こうした傾向は強まっているのではないでしょうか。

震災のときに、あのような悲惨な状況でも決してモラルの低下がなかったことも、こうした日本人の美徳に由来するものでしょう。日本人のこうした精神性は世界に誇れるものだと思います。こうした美徳を活かせば、まだまだ世界の中で日本の存在感は示せるのではないか?、そんなことを深夜のオリンピックを見ながら朦朧とした頭で考えていました。