もう春ですね

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こんにちは、院長の阿部哲夫です。
3月に入り、気温も暖かくなり風もさわやかに感じるようになってきました。例年なら春の気配を感じると、何となくうきうきとした気分になるのですが、今年は全くそうした余裕はありません。世の中が騒然とし、不安と疑心暗鬼に振り回されているようです。もちろんその原因は新コロナウイルスですが、早く収束するのを願うばかりです。

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現代は、すぐに原因が同定されある特定のウイルスであると原因が究明されていますが、数百年前の日本なら、疫病として怖れられるだけだったのではないでしょうか?有効な治療法もなく、防疫という概念もない時代では、ただ神仏に祈るだけだったでしょう。その当時の人々の無常観には、こうした疫病、天変地異や戦争は大きな影響があったと思います。人知の及ばないこうした庶民を襲う災いは、毎年のように起こり人々を不安に陥れてきたのだと思います。原因がわかっていて、治療法も今後期待できるのにもかかわらず、やはり未知の疫病はその恐怖は現代でも変わらないのです。

医学は、ある意味ではこうした未知の病原体との闘いの歴史といってもいいのではないでしょうか?かつては、結核が死亡原因の第一位だったことは我々の世代では常識ですが、おそらく平成生まれの若者には初耳なのではないでしょうか?わずか50年前、結核による死亡者は年間10万人以上でした。いまでは、制圧された病気と思われていますが、それでも実は年間2000人の方が結核で亡くなっているのです。インフルエンザも、年間にすると1万人以上の方が命を落とす病気です。一方、COVIT-19で亡くなった方は、まだ10名を超えていません。それでも、多くの国民が恐れるのは未知だからです。治療法もない、検査も受けられない、どこに感染者がいるかもわからない、自分かかかるかもしれない、こうした不安や心配が我々をパニックに陥れているのではないでしょうか?

こうした時ほど冷静な行動が必要です。WHOの発表にもあったように、マスクは予防には全く無効です。ウイルスに感染している人が咳やくしゃみをした場合、マスクをしていれば感染力を低下させることはできるかもしれません。一方、マスクをしているからといって伝染らないということはないのです。ウイルスの大きさはマスクの隙間よりもはるかに小さく、息を吸っている限りは、その隙間から容易に侵入し感染を起こすのです。しかし、多くのマスクを買い求めた人たちは、マスクをしていればかからないで済むと思っていたのではないでしょうか?マスクを買い求めて、あちこち走り回り多くの人と接することのほうがよほど危険だと思います。かくいう私も、医師会からマスクの配布があった際には真っ先に取りに行ってしまいました。また感染者の8割は二次感染を起こさないという事実も忘れてはいけないと思います。

予防には、手洗いとうがいと換気は有効なようです。当院でも、2月末には新コロナウイルス感染対策委員会を開き、種々の対策について協議しました。対策としては、①職員やデイケア参加メンバーの手洗いと消毒やうがいの励行。②診察室、待合室、デイケア室の定期的な換気。③抗ウイルス効果のある空気清浄機の増設。④手すりや手の触れる部分の消毒。⑤デイケア参加者の検温などです。当院受診の皆様にはご迷惑おかけしますがご協力よろしくお願いします。

一方、今の感染予防のために、すべての活動を自粛するといった風潮には疑問を持ちます。こうした自粛行動による経済的損失は莫大なものになると思います。その影響についての心配の一つは自殺者の増加です。近年自殺対策により自殺者が減ったといいますが、対策よりも景気が良くなった効果のほうが本当は大きいといわれています。今回の感染予防対策による自殺者の増加も無視できるものではないと思います。

また、学校の休校の措置なども、慎重に検証しないといけないかもしれません。この措置のために医療関係者が就業できず、医療機関の診療縮小が起きている実際があります。この措置のために、救急外来の機能低下が起きて死亡者が増えてしまっては本末転倒です。また、多くの生徒が朝から学童保育に通うことになったと聞きますが、学童保育のほうが狭い空間で外出の機会も少なく多くの時間を過ごし感染機会を増やすことにはならないのでしょうか?勇気のある決断だったとは思いますが、これが単なる思い付きの愚策でなかったことを願います。

こうした疫病対策に関しては、収束後に対策が本当に適切だったのか、科学的検証が必要だと思います。のど元過ぎて熱さを忘れるのではなく、この騒ぎの後、後世に様々な教訓を残すためにも、冷静に反省することが何よりも必要なのではないでしょうか?そのためにも、くれぐれもいろいろな資料はシュレッダーにかけないようにしてほしいと思います。