秋の夜長

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こんにちは、精神保健福祉士をしております梅津と申します。
何をもって秋を感じるか、というのは人によると思いますが、私は猫の形で秋を感じます。猫というのは寝姿が伸び縮みする生き物で、夏は溶けているのか、というくらい長く伸び、冬は空鍋に入れたくなるほど丸くなります。そして、春と秋はちょうどその中間くらいで、いかにも猫という形で寝るのです。

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飼っている方はご存知のことではありますが、その様子を見事に描いた絵を一つご紹介いたします。長谷川潾二郎という画家の作品で、題名もそのまま「猫」ですが、見事に秋らしい寝姿が描かれています。この絵を一躍有名にしたのは、画商であり、小説家、美術エッセイストでもある「洲之内徹」です。今もある「芸術新潮」という雑誌で連載していたエッセイのなかで、この絵が出来上がるまでのエピソードを書いています。

長谷川潾二郎は筆が遅いことで有名でして、「太郎」というこの飼い猫が同じ姿で寝たときだけ描く、という写実主義の極地というか、それを超えて頑ななまでのこだわりによって完成したというエピソードが語られています。結局、髭を描き終える前に、「太郎」が天寿を全うしたこともあり、残念ながら片髭のみとなってしまいましたが、一本一本の毛並まで丹念に描かれているこの作品を、洲之内は画商でありながら、展示するのみで、自分で売却済のシールを貼り、生涯手元に置いていたそうです。

そして何より、この絵について書いた洲之内徹という人の文章が私は大好きで、若いときに何度も読みました。洲之内は、小説も書いていて芥川賞の候補に3度あがったこともあるのですが、受賞に至りませんでした。小説は、「虚(フィクション)」を扱うものですが、その虚の部分を削ぎ落としたような「実」がありすぎたために受賞できなかった、と直木賞作家の車谷長吉が評していますが、無駄があるようで、無駄な脚色が一切ない文体はとても魅力的です。特に洲之内の三男の死を扱った「赤まんま忌」は秀逸で、今でもときおり読み返しています。読書の秋はもう過ぎそうですが、おすすめの短編エッセイです。