尖閣問題に思うこと

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こんにちは、院長の阿部哲夫です。
秋も深まってきましたね。家の前の木々からの大量の落ち葉で悩む季節になってきました。私の家には猫の額の庭しかないのですが、家の前に大木があります。この季節になると、大量の落ち葉が家のベランダや玄関前に降ってきて、毎年悩まされるのです。焚き火にもこの都会では出来ませんし、毎年悩みの種です。しかし、夏にはその木は借景となり実に見事な木陰を作ってくれるので、少々の近所迷惑は我慢しなくてはと思っています。

しかし、国同士となるとどうしてこうも対立するのでしょうか?尖閣列島の問題は、聞いていて悲しくなります。隣同士の国なのだから、互いに譲り合って、協力できるところを尊重したほうがむしろ互いの利益になるのではと思うのですが、どうも現実は違うようです。むしろかの国は、国民の感情を煽って自国の権利ばかり主張しているかのように思えます。謙譲の美徳といった価値観より目の前の利益を優先しているとしか思えません。「和をもって尊しとなす」といった日本的価値観は、世界には通用しないのでしょう。日本がちょっとアメリカとぎくしゃくしたらすかさずちょっかいを出してくるといった中国やロシアのやり方が、国際社会では普通なのでしょう。

しかし、これを個人のレベルに置き換えてみたらどうでしょう。たぶん中国やロシアといった国々では、こうしたやり方が個人のレベルでも常識なのだと思います。権利を主張したものや大きな声の人の主張が通ってしまう、ある意味では弱肉強食の社会です。こうした社会の中では、「人に優しくしましょう」とか「協調性が大事」といった日本の常識は通用しないのでしょう。中国に実際に行ったことのある方の話を聞くと、順番を待ったり人に遠慮するといったことはあまり無い社会だそうです。もちろん、すべての人がそういった行動基準ではないと思うのですが、こうした人が多いのはどうも事実なようです。

こうした社会の中では、障害者や少数派の人達はきっと住みにくいでしょう。チベット問題を引き合いに出すまでもなく、少数意見などといったものは省みられることはないと思います。そもそも、一党独裁体制で、人々の意見が反映される仕組みが全くないのですから、当然でしょう。下手をすると、体制に反する意見なら多数意見さえも無視されかねない仕組みです。こうした国では、精神に障害を持っていたり、身体に障害を持っている人あるいは高齢者の人権はどうなっているのでしょうか?健康な人の人権さえも保障されていない国では、こうした社会的弱者の人権などは尊重されていないことは容易に想像できます。日本も最近は不景気で、福祉予算は減る一方ですが、まだましなのでしょう。

こうして考えてみると、多少国際的には弱い立場に立ったとしても、日本の社会で常識とされている価値観の中で生きているほうが、国民としては幸せです。いつもいがみ合っているような社会に暮らすより、協調して平和に暮らせる社会のほうが精神衛生上はいいのではと思います。弱者の人権が保障されている社会こそ、文化的な社会であると思います。単に文明化され近代化されているのではなく、文化的な社会こそ日本だけではなく世界が目指せるといいのではと思うのです。でも、そんな呑気なこといっていると漁船に体当たりされてしまうのが、いまのアジアの常識なようです。