リトルネロについて

暗闇に幼な児がひとり。怖くても小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ち止まる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ。子供は歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。

だが、歌それ自体がすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスの中に秩序を作りはじめる。しかし、歌には、いつ分解してしまうかもしれぬという危険もあるのだ。アドリアネの糸はいつも一つの音色を響かせている。オベリウスの歌も同じだ。
– ジル・ドゥルーズ『ミル・プラトー』リトルネロについて

「プラス何か」が必要になる理由
-キツイ思いが足りないから、キツイ体験を加えないと落ち着かない。

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何かひとつ、自分を肯定できるものを持ち帰る。

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<ある>の経験、それに突き動かされている。

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覚悟がすべてだ。-ハムレット
Readiness is all.

時間は流れ行くものだが、自分でつくるものでもある。

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求めているものと違うものの方がしっくりくることがある。

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老人は何度か肯いて、また盤面をじっと睨んだ。勝負の趨勢はもう殆どきまっており老人の勝利は確定したいようなものだったが、彼はそれでもかさにかかって攻めたてることはせず、熟考に熟考をかさねた。彼にとってゲームとは他人を負かすことではなく、自分自身の能力に挑むことなのだ。
-『世界の終りとハードボイルドワンダーランド」P145

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もう何を書こうとしていたか思い出せない。
あ!ルビンの本とかいう版画を作った。

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「芸術やポエジーは世界を説明しません。それらは世界を表現するのです。芸術やポエジーはそのもの自体を越えて指し示すものを必要としない。それらそのものが目的なのです。良い詩とは世界をよりよくするためにあるのではありません。その詩そのものが、よりよき世界の破片なのです」
-ミヒャエル・エンデ 『だれでもない庭』

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9月からドタバタと忙しくなる予感。

何かひとつを信じると、もう一つを使用できなくなる気がする。

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質より量が質を創る。

何事においても上から目線でしか見られない人は大切な事を見失う。

正気の部屋は、狂気の部屋のすぐ隣にある。
正気の部屋に住むためには、狂気の部屋にも出入りしておく。

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時間にまかせてみる。

私の言語の限界が私の世界の限界を意味する。
-ウィトゲンシュタイン