真夏ですね

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こんにちは。院長の阿部哲夫です。
梅雨が明けたと思ったら、いきなりの酷暑に突入です。正確なデーターは分かりませんが、皆が口々に今年は特別暑いと言います。たしかに、文字通りのうだるような暑さを感じます。この暑いさなかに、テニスを続けています。自殺行為ともいえますが、特に命にかかわることはなくなんとか継続できています。しかし、夏は好きな季節でもあり、なんとかこの暑さを楽しむ努力はしています。さすがに、毎日の上野公園通いは小休止ですが、なるべく汗をかく機会にはしっかり汗をかくようにはしています。
 
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夏は楽しみが多い季節です。山や海に行くのはもちろん、野外のコンサートやライブイベント、プールや花火など連日テレビでもこうした情景が報道されています。特に花火は人気なようです。夕方に浴衣姿の若い子が多いなと思うと、花火大会がどこかで催されています。実は、私自身は花火大会には興味が余りありません。
 
夕方とはいっても、まだまだ暑いですし、人混みの中汗だくになってまで観たいとは思えないのです。もちろん、どこかのホテルの一室でもかりて優雅に観覧ならいいのですが、それはかなり高価とききますし、それほどのお金を払ってまで観たいとは思わないのが本音です。人混みと行列と暑さと想像しただけで、汗が噴き出るといったマイナスの想像ばかり働いてしまうのです。この連想はやや、マイナスに過ぎるようで、今年友人に誘われて花火見物に行ったら以外と楽しめました。これからは、すこし色々なことにも挑戦しようと思っています。
 
最近は、広島や長崎の原爆の日や、終戦記念日が近づいていることもあり、戦争にまつわる報道が多く見られます。そのなかで、滋賀県選出の武藤何某とかいう2回生議員が、平和安全法制に反対する団体「SEALs」の主張が「戦争に行きたくないだけの利己的主張である」とツイッターで批判したとの記事をみました。武藤先生は、戦争に行きたいとでも言うのでしょうか?
 
正直、誰一人戦争に行きたい人などいないと思います。ただ平和安全法制イコール戦争という論理には飛躍があることも事実です。これは想像力を働かせすぎですし、やや極端であるとも思います。しかし一方戦争に行きたくないと主張することは利己的であると言ってしまうことが、どのような波紋を呼ぶかを想像できなかったとすると、それは想像力の欠如と言わざるを得ないのではないでしょうか?
 
戦争の悲惨な体験を経験した人は、異口同音にもうあのような経験は二度としたくない、そして二度とさせたくないと言います。私自身も、両親から当時のことを何回か聞いただけで、戦争の怖さや恐ろしさを実感したことはありません。しかし、広島の平和記念公園やひめゆりの塔を訪れ当時を想像したただけでも、戦争は絶対に避けなくてはいけないという思いは湧いてきます。

利害や思想の違いを暴力で解決することは、個人のレベルでは禁じられているのに、なぜ国同士なら許容されるのでしょうか?個人ではなく自分が所属する集団のためなら、人殺しが許容されるのでしょうか?集団のためとはいえ暴力をふるうことを拒むことが、利己的といえるのでしょうか?いろいろと想像を巡らせていると、考えが止まらなくなってしまいました。武藤議員さんにもこのくらいの想像力を働かせていただきたいと思いました。

寅さんではありませんが、「にいちゃん、それをいっちゃあおしまいよ。」ですよね。